「先聖後聖、其の揆一なり」――変わらぬ本質と、メンターの役割
ココロ
ねぇアキさん、
「先聖後聖、其の揆一なり」って、
難しそうな言葉だけど、
どういう意味なんですか?
アキ
簡単に言うと、
「昔の聖人も、今の聖人も、判断の基準は同じ」
ってこと。
つまり、
時代が違っても、
本質的な価値や判断基準は
変わらないってことよ。
ソウ
そして、それは
メンターやリーダーとしての
在り方にも通じるんだ。
何が大事なのか、
本質を見失わないこと
――それが一番難しくて、
一番大切なことだね。
ココロ
そっか…。
じゃあ、
今の時代に生きる私たちが
大切にすべき“本質”ってなんだろう?
■変わらないものに立ち返る
「先聖後聖(せんせいこうせい)、其の揆一(そのきいち)なり」
時代や背景が違っても
聖人たちが大切にしてきた
“判断の基準”は一つだ
という言葉です。
現代に生きる私たちにも、
それは通じています。
仕事のスタイルも、
テクノロジーも、
言葉遣いも変わったけど、
人を支える・育てるという
本質的な営みは、
大切な役割であるということ。
私が講座を通して
多くの受講生と
関わる中で感じるのは、
どんな立場の人であれ、
最終的に求めているのは
「自分の可能性を信じたい」
「誰かの力になりたい」
という願いを持っている
ということです。
そんなとき、
メンターとして大切なのは
「相手を正しく見つめ、信じる」
という姿勢です。
それが、
変わらない“本質”
=自分の中の判断の基準になります。
言い方を変えると
目の前の人を喜ばせることです。
■効率よりも大事なもの
組織にいると、
つい「効率」というものに
目が向いてしまいます。
実際に
私自身、リーダーで
ありながら、
自分自身に囚われてしまい、
相手の思いを
優先できなかった
ことがありました。
部下の悩みには
気づいていたのに、
「それに触れたら時間がかかる」
と見ないふりをしてしまった。
その後、その部下は
退職をしてしまいました。
――そんな自分に
後から強い後悔を覚えました。
メンターの在り方とは、
成果主義や保身から
生まれる判断ではなく、
目の前の人を
本気で思う気持ちから
生まれる選択。
そこに立ち返れたとき、
人は人としての信頼を
取り戻すのだと思います。
■今だけ・自分だけ・お金だけ になっていないか
「今さえ良ければいい」
「自分さえ得すれば」
「お金が一番」
こうした思考は、
個人にも組織にも、
社会全体にも静かに
広がっています。
でも、
これは
長期的な繁栄や
信頼とは相容れない
ものです。
「目の前の人の笑顔に貢献したい」
という気持ちと両立しません。
私たちはみな、
弱い存在です。
だからこそ、
自分を正しく見てくれる
“他者の視点”=メンター
が必要です。
■自分の“揆”を磨きつづける
「揆」とは「判断基準」
自分の判断は、
日常の中では
「当たり前」すぎて気づけません。
でも、
それが無意識の癖によって
偏っていたらどうでしょう?
私自身も、
メンターからのフィードバックで
ハッとしたことがあります。
「それって
“本当に相手のための判断”
ですか?」と。
グサッときたその一言で、
自分の判断が
ズレていたことに
気づかされました。
そうやって、
自分の“揆”を確かめ、
磨き直してくれる
存在がいることは
財産です。
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【まとめ】
ココロ
なるほど…
「目の前の人を喜ばせること」って、
すごくシンプルだけど深いですね。
アキ
そうね。
そしてそれは、
いつの時代でも
変わらない大切な基準なの。
ソウ
だからこそ、
自分の判断がその基準から
ズレていないか、
常に内省することが
大事なんだ。
そして、
信頼できるメンターが
その確認役にもなる。
ココロ
私も、誰かにとって
そんな存在になれるように、
自分の“揆”を大切にしたいな。
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