幸せになろうとするから苦しくなる――生きることは、自分を知り続けること

先日

仕事で約束していたことを

その期限までにやってくれなくて

私はいらついてしまいました。

 

毎日のように

さまざまな出来事を体験し

うれしいこともあれば

腹が立つこともある。

 

そして、起きた出来事を

無意識のうちに分類しています。

 

良い・悪い / 正しい・間違っている

得・損 / 成功・失敗

優・劣 / 味方・敵。

 

しかし

ここで一度立ち止まって

考えてみたいのです。

 

本当に出来事そのものに

「良い」「悪い」という性質が

最初から備わっているのでしょうか。

 

「幸せになりたい」と誰もが願います。

しかし

幸せを未来のゴールに置いた瞬間

「今の私はまだ幸せではない」

という前提を作ってしまうことがあります。

 

今回考えたいのは

幸せを追いかけることではなく

自分がどんな前提で世界を

見ているのかを知るという生き方です。

 


■外で起きているのは「関係」と「変化」

自分の外側で起きていることを

突き詰めて考えてみると

 

そこにあるのは

関係と変化

がただ淡々と行われているだけ。

 

約束をした

期限まで待った

期限がきた

やってくれなかった

 

一つの出来事が

別の出来事につながっていく。

 

世界は、

そうした関係と変化を

絶えず繰り返しています。

 

仏教でいう

「諸法無我」や「諸行無常」

という考えです。

 

すべては関係の中で成立し

固定されたまま存在するものはなく

常に変化していく。

 

この見方に立つならば

外で起きた出来事には最初から

「これはあなたにとって悪い出来事です」

という札が貼られているわけではありません。

 

出来事は、ただ起きている。

そこに意味をつけるのが、自分です。

自分の価値観で世界を色付けしている

 


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■二極の世界を作っているのは誰なのか

事実としては

「期限までにやってもらえなかった」

だけです。

 

ところが私の頭の中では

約束をした

↓
今回はちゃんとやるだろうか

↓
期限が近付いているけど大丈夫か

↓
やっぱり間に合わなかった

↓

なんていい加減な奴なんだ

 

と意味づけが進んだだけです。

 

ここで苦しみを生み出しているのは

出来事そのものなのでしょうか。

 

それとも、

出来事をどう捉えたか

でしょうか。

 

自分の価値観や経験

思い込み、期待などを

通して世界を見ています。

 

言い換えれば、

自分の「前提」を通して世界を見ている

のです。

 

そしてその前提によって、

良い・悪い

得・損

味方・敵

という二極の世界を作っています。

 


■二極を生み出す背景には「欲」と「恐れ」がある

なぜ私たちは二極に

分けたくなるのでしょうか。

 

その背景は

「自分にとって都合がいいか、悪いか」

という価値観です。

 

約束を守らないアイツは困った奴だ。

しかし、今に始まったことでないなら

事前に確認をしてそうならないように

仕向けることもできたのに

しなかったのはなぜだとなるわけです。

 

掘り下げれば

うまくできないという結果を

いい加減なアイツのせいにして

本音は難しいを見ている

自分のせいにしないように

 

自分の本音から目を背けて

逃げていただけだったとわかるのです。

 

そのために、いい加減なアイツが

自分には好都合だったわけです。

 

なんて卑怯なやり方なのか

と思いました。

 

あの人を悪く言う筋合いは

なかったわけです。

 

そして、自分に振り替えてみることで

本気で向き合う決心が

出来たことも事実です。

 

 

欲しいものが手に入らない

かもしれないと思えば

恐れや焦りが生まれます。

 

本来ただ関係と変化が起きている世界に

自分の欲や恐れ、執着によって、

「こちらが良くて、こちらは悪い」

という二極の世界へ引き込んでいるです。

 

自分で作ったその二極によって

自分自身が苦しんでいる。

 

少し極端な言い方をすれば、

自作自演で困っている

ということじゃないでしょうか。

自分の価値観というフィルター越しに見ているだけ


■では、「嫌だ」と感じることは悪いのか

ここで誤解したくないのは、

「善悪を判断してはいけない」

「嫌だと思ってはいけない」

という話ではありません。

 

むしろ私は、

「嫌だ」と思った瞬間こそ

自分を知る絶好の機会

だと思います。

 

なぜなら

出来事そのものではなく

自分が「嫌だ」と感じているのであれば

そこには自分の価値観や前提が表れているからです。

 

だから

負の感情を持ってしまうことを

いけないことと判断するのは

不要なことだと

しないといけません。

 


■イライラしたことで、自分の成長に気づくこともある

先日、ある人からの相談を受けました。

以前なら何とも思わなかった人の振る舞いに

最近になって腹が立つようになったというのです。

 

「あの人は無責任だ」

「なぜもっとちゃんとしないんだ」

とイライラするのだと。

 

そこでその人の問題にすれば、

「あの人をどう変えるか」

という話になります。

 

しかし

相談者は目の前の人なので

その人を主体にして考えると

「なぜ以前は気にならなかったのに

今は気になるのだろう」

と整理してみる。

 

すると

「責任ある役割を任されたからですかね」

と役を与えられたことを話してくれました。

 

以前は責任を負っていなかった。

だから、それほど気にならなかった。

 

しかし今は、

「この役をきちんと果たしたい」

という気持ちが生まれている。

 

そう考えると

イライラの裏側にあったのは、

自分の責任感や誠実さの成長

だったということになります。

 

明らかになったのは

その相談者の成長だったわけです。

 

すると、

「イライラしてはいけない」

と自分を責める必要もなくなります。

 

むしろ、

「自分はそれだけ

この役割を大切にするようになったんだな」

と自覚できたのは

その人のおかげだとなります。

 

この話のどこに「悪」があるというのでしょう。

本来、どこにも「悪」は存在していないのに

私の前提によってそれを作り出している

という事例なのではないでしょうか。

どこにも悪はない


■同じ出来事から、さらに別の意味も見えてくる

さらに、その人はもう一歩進めて

「自分も昔は先輩を困らせていたかもしれない」

と気づきます。

 

今のような責任感とか持つことなど

なかった自分だったけど

それでも先輩は、自分を育ててくれた。

 

きっと

我慢もしてくれていたし

諦めずに教えてもくれていた。

 

そう考えれば、

「あの頃、自分を育ててくれた人

がいたから今の自分がいる」

という感謝が生まれます。

 

感謝する対象に人に

その恩を返すことなんて本当はできない。

恩はそれをまた誰かに送っていく

ことしかできないのかもしれない。

 

そう思えて

「今度は自分が育てる側なのかもしれない」

と自分もあきらめず人に関わろう

と新たな決心をしたのでした。

 

最初は、

「あの人は問題だ」

と思っていた出来事です。

 

ところが、自分を見ていくと

責任感に気づき

自分の成長に気づき

過去の恩に気づき

これからの自分の役割にまで気づく。

 

出来事は同じです。

変わったのは

出来事を受け取る自分の智慧

なのです。

 


■世界が変わったのではなく、受け取る自分が変わった

世界は「関係と変化」を

淡々と繰り返しています。

 

「私」という意志を持った存在が

その「関係と変化」に触れます。

 

そして私が、

「これは嫌だ」

「これはありがたい」

「これは損だ」

「これは学びだ」

と意味を与えます。

 

智慧がなければ、

「なぜこんなことが起こるんだ」

「あの人のせいだ」

「自分は運が悪い」

と外側に原因を置き続けるでしょう。

 

すると苦しみは続きます。

 

しかし智慧があれば、

「この出来事を通して

自分の何が表れているのだろう」

と見ることができます。

 

すると、嫌だった出来事の中からさえ、

気づき、成長、メリット、感謝

を見つけることができます。

 

世界の営みが変わったわけではありません。

受け取る自分が変わったのです。

心の持ち方で世界は変わる


■これが「二極から無極へ」ということ

私は、この変化を

二極から無極へ

と捉えています。

 

無極とは

善悪が分からなくなることでも

好き嫌いがなくなることでも

何をされても受け入れることでもありません。

 

そうではなく、

自分が何を根拠に

「良い・悪い」と決めているのかを知り

その判断に支配されなくなること

です。

 

「失敗は悪い」

と思っていた自分に気づく。

 

「あの人は敵だ」

と思っている自分に気づく。

 

「これを失ったら幸せではいられない」

と思っている自分に気づく。

 

すると、

二極の片側へ必死に逃げ続ける必要が

少しずつなくなっていきます。

 


■感謝とは「良いことが起きたから」するものなのか

良いことがあったから感謝する。

願いが叶ったから感謝する。

助けてもらったから感謝する。

 

また、

自分の都合に合うことを望み

それを手に入れることを幸せと

勘違いすること。

 

それでは

良い出来事/悪い出来事

という二極の中にいます。

 

それは

たまたま自分の都合に合っただけの

不安定な喜びです。

 

どんな結果になろうとも

自分を知るための材料になり得る

としたらどうでしょう。

 

成功した自分も知る。

失敗した自分も知る。

喜んでいる自分も知る。

イライラしている自分も知る。

嫌いな人との関係を通しても、自分を知る。

 

そう考えると、

「良いことをしてくれたからありがたい」

だけではなく

 

「この出来事があったから

自分のことをまた一つ知ることができた」

という感謝が生まれてきます。

 

それは、

「自分は多くの関係の中で生かされている」

という感覚にもつながっていくのではないでしょうか。

 

生きている限り欲は消せないし

感情がなくなることもないでしょう。

 

だから、都合に合わないことに

直面して心は波立つでしょう。

 

自分の外の世界は

「善悪のない無極の世界」にもかかわらず

自分はどう捉えたから

心が波立ったのかという

答えを探すところまでを

ワンセットにしていきたいものだと思います。

 

そうすれば

二極の自分の都合に合う

極の方になりますようにと

常に不安定な状態でいることがなくなり

 

結局どんなことがあろうと

生かされているという

安心の中に身を置くことになる。

 

これは、智慧を持たないとなれないことです。

いいことがあった時だけ感謝するのではなくすべてに感謝できる人は幸せだ

 


■では、幸せになるために自分を知ればいいのか

ここまで読むと

「では幸せになるために

自分の前提をもっと知ろう」

と思うかもしれません。

 

しかし実は

ここにも一つ落とし穴があります。

 

「〇〇のために、これをする」

とした瞬間、

その「〇〇ではない今」

を前提としてしまいやすいからです。

 

「幸せになるために、自分を変えよう」

という言葉の裏には、

「私は今、十分幸せではない」

が入り込みます。

 

「成功するために前提を書き換えよう」

なら、

「今の自分では足りない」

という前提が生まれる。

 

すると

自分を知るという取り組みまで

「何かを手に入れるための手段」

になってしまいます。

 

そして結果が得られるかどうかに

また依存することになります。

それでは不安定なままです。

 


■自分を知る作業に、ゴールを設定しなくていい

実践を深めていくうえで

自分を知ることそのものに

特別な意味をつけなくてもいい。

 

ゴールを設定しない。

 

何のためにやるのか

という動機すら持たない。

 

「こうすれば幸せになれる」

とも期待しない。

 

ただ、

「私は世界をどのような前提で見ているのだろう」

と明らかにしていく。

 

それだけです。

そこには、結果への依存がありません。

生れてきただけで幸せと思えるから幸せになろうとしなくてよい


■そもそも、生きているだけで自分は表れ続けている

私たちは生きている限り

世界と関係し続けています。

 

人と会う。

話をする。

仕事をする。

何かを頼まれる。

断られる。

褒められる。

失敗する。

喜ぶ。

怒る。

傷つく。

不安になる。

 

そのたびに

自分の中から何かが反応します。

 

つまり生きているだけで

自分がどんな人間なのかが

世界との関係の中に表れ続けている

のです。

 

自分を知るために

特別な出来事を探す必要はなく

日常そのものが、すでに自分を映しています。

 


■同じ出来事なのに、人によって世界が違う

たとえば

メールの返事が来ないとします。

 

ある人は、

「嫌われたのではないか」

と思います。

 

ある人は、

「忙しいんだろう」

と思います。

 

別の人は、

「そのうち返ってくるだろう」

と思います。

 

外で起きている事実は同じです。

 

「まだ返事がない」

事実はそれだけです。

 

ところが

体験している世界は違います。

そこに、その人の前提が表れています。

 

「人から嫌われたら困る」

「すぐ返事をするのが誠実だ」

「待たされることは軽く扱われている証拠だ」

そうした前提がその人の真実を作ります。

 

つまり毎日の何気ない出来事の中で

「自分とはどんな前提を持っている人間なのか」

を常に見せてもらっているのです。

自分を明らかにすることだけが重要

 


■呼吸することに、目的はいらない

「幸せになるために、今日は呼吸しよう」

とは考えないですよね。

 

「成功するために心臓を動かそう」

とも考えません。

 

生命は、ただ営まれています。

 

自分を知ることも

それに近いのではないでしょうか。

 

生きている。

世界と関係する。

何かを感じる。

そこに自分が表れる。

それを見る。

ただ、それだけです。

 

だから自分を知ることは、

人生を良くするために

新たに付け加える

特別な作業ではない。

 

生きるという営みの中に

最初から含まれている

と考えたらどうでしょう。

 


■鏡を見ることに、立派な動機はいらない

朝、鏡を見ます。

髪が乱れていれば、整える。

顔に何かついていれば、取る。

 

そのとき、

「人生で成功するために鏡を見なければ」

とは考えません。

 

ただ映っているものを見るだけです。

 

日々の出来事も、同じように考えることができます。

 

腹が立った。

「私は何を大切にしているから腹が立ったんだろう」

 

怖かった。

「私は何を失うと思ったんだろう」

 

羨ましかった。

「私は何を本当は望んでいるんだろう」

 

ただ見る。

明らかにする。

それだけでいい。

鏡を見ている女性

 


■「改善しなければ」という執着も手放していく

自分の前提が見つかると

今度は、

「この悪い前提を直さなければ」

と思ってしまう。

 

しかし、それもまた

良い前提/悪い前提

成長した自分/成長していない自分

という二極です。

 

だから、

「直すために見る」

からも少し離れてみる。

 

まずは、

ただ明らかにする。

 

なぜ私はそう思ったのか。

なぜ怖いのか。

なぜ許せないのか。

なぜ手に入れたいのか。

ただ自分を知る。

 

必要なら変わっていくでしょう。

必要がなければ

そのままかもしれません。

 

そこまで結果を管理しようとしなくてもいいのです。

 


■すでに幸せなら、幸せを取りに行かなくてもいい

「幸せになる」ことを

人生のゴールにしがち。

 

しかし幸せを遠くに置けば置くほど、

「今ここには幸せがない」

という前提を強くしてしまいます。

 

もし

今すでに生きている。

呼吸している。

人と関係している。

感じることができる。

経験することができる。

そして

その体験を通して

自分を知ることまでできる。

 

そう考えれば

幸せになるために

自分を知る必要があると

考えなくていいのではないか。

 

すでに幸せだから

あえて「幸せを取りに行くこと」を

人生の中心テーマにしなくてもいい。

 

ただ生きる。

ただ関係する。

ただ自分を見る。

 

自分を知ることは

生きることと同じくらい当たり前のこと

 

生きることと

自分を知ることは

本来別々ではないのだと思います。

 

生きるとは

世界との関係の中で、自分が表れ続けること。

 

自分を知るとは

そこで表れている自分に気づくこと。

 

世界と関係すれば

自分が表れる。

自分が表れれば

それを見ることができる。

 

だから自分を知ることに

特別な理由をもたせない。

 

幸せになるためでもない。

成功するためでもない。

自分を変えるためですらない。

 

ただ生きているから自分を見る。

呼吸するように。

食事をするように。

 

そして、

「私は今この世界を

どのような前提で見ているのだろう」

と淡々と自分を明らかにしていく。

 

そのとき

外の世界を善悪や損得だけで

裁く必要が少しずつ

なくなっていくのではないでしょうか。

 

嫌だった出来事さえ、それにより

「また一つ、自分を知ることができた」

と受け取れるようになるかもしれません。

 

それが、私の考える、

「二極から無極へ」

という生き方です。

 

無極とは

何も感じなくなることではありません。

何かを達成した特別な境地でもありません。

 

ただ

世界を自分の前提で

二つに切り分けていたことに気づき

その前提から少しずつ自由になっていくこと。

 

そして最後には

自分を知ることさえ

特別な修行にせず

生きることと同じように淡々と続けていく。

 

そんな自然な生き方なかで

自分を見ていくことをやっていきたい。

 

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[私たちは“現実”を見ていない?]

[外で起きていること、ほんとうに見えてる?]

[不都合に見える出来事の裏にあるものとは?]

[一人一宇宙という考え方 ]


■智慧を持って生きるかどうかで、人生の体験は大きく変わる

同じ出来事が起きても、

「あの人が悪い」

「なぜ自分ばかり」

「こんなことは起きてはいけない」

と受け取るのか。

 

それとも

「私はなぜこれを嫌だと思ったのだろう」

「この出来事は自分のどんな前提を明らかにしているのだろう」

「ここから自分は何を知ることができるだろう」

と受け取るのか。

 

起きている出来事は同じでも

その後に体験する人生は

大きく変わっていきます。

 

私はこの違いを生み出すのが

「智慧」だと考えています。

 

智慧とは

知識をたくさん持つことではありません。

外で起きていることに振り回されるのではなく、

自分がどのような前提で世界を見ているのかに気づく力。

 

そして

その前提に縛られず

出来事を別の角度から

見ることができる力です。

 

この智慧がなければ

自分で意味づけした世界に

苦しみながら

その原因を外側に探し

続けてしまうかもしれません。

 

しかし

自分の前提に気づくことができれば

同じ出来事からでも

自分を知り、メリットを見つけ

時には感謝へと変えていくことができます。

 

その差は

長い人生で考えれば

とても大きなものになると思っています。

 

だから私は

「自分がどのような前提で世界を見ているのかを知る」

という学びをお伝えしています。

 

幸せになるために

頑張るためではありません。

 

自分を無理に変えるため

でもありません。

 

まずは

自分の無意識の心が

どのように使われているのかを知る。

 

そこから

自分の人生の見え方は

少しずつ変わっていきます。

 

 

体験会では

この「前提」と「心の仕組み」について

できるだけ分かりやすくお伝えします。

 

もし

「自分はどんな前提で世界を見ているのだろう」

 

と少しでも興味を持たれたなら

一度その仕組みに触れてみてください。

 

人生が変わるきっかけは

外を変えることではなく

自分の見方に気づくこと

から始まるのかもしれません。

 

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智慧が人を救う


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